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短編小説: 無間桃太郎

むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんがいた。度重なる核戦争で荒廃しきったこの山で、おじいさんは生きた植物を求めて草刈りに出かけた。一方おばあさんは、しょっちゅう毒の灰が舞い散るこの山で汚れを落とすために、近くの綺麗な水流の良い川で洗濯をしに出かけていた。

おじいさんは分かれ道に差し掛かって右の方を睨んでいた。それは若い頃に通った道だが、記憶の限りではその先には川と通じている洞窟があり緑が生い茂っていた。おじいさんはかつて、その道には二度と行くまい、と思っていた。怖い、恥ずかしい、悲しい記憶があったからだ。しかし、他のどの道を探しても、岩と砂と死骸、そして死骸に群がる毒キノコしかなく、家でそれなりに培養していた植物もあと20年もすれば絶滅する。ならば己の苦しみを顧みず先を行かねばならないと意を決し、おじいさんは、その修羅の道を歩み始めたのだ。

一方おばあさんは川の下流に座り、籠から洗濯物を取り出した。家に入るとき洗濯物のホコリを払った筈なのに、気がつけば毒の灰で青黒い。それを川の流れる水に漬け込んで、ゆっくりと灰が流れ落ちるのを静かに見つめていく。山の向こうでおじいさんがためらいを振り払い例の山に行く事をおばあさんは察した。おばあさんには遠くの人の思いがわかる、不思議な力があったのである。

川の先に洞窟がある。その洞窟の入り口の端に、歩けるぐらいの道がある。奥に湧水でもあるのだろうか。おじいさんは中へと歩いて行く。吹き抜けているのが、風がびうびうと流れている。洞窟の中にぼんやりとした陽光が照らされており、天に穿つ穴がある。おじいさんは驚いた。以前のように、その洞窟には緑に溢れた景色があった。自然はなんとたくましいことか。洞窟の奥に入ると、やはり記憶にあった大木が川の側にそびえ立っていた。その木にはやはり、巨大な桃が一つなっている。木の根元にはこんな看板が立っていた。

『桃の実を用いた浄化プロジェクト試作品「OKINA」 – 生物を吸収し若い形態に還元する事で汚染から浄化する。』

以前はこんな看板など読む余裕はなかった。しかし改めて読んだところでおじいさんには全く意味が分からない。戦争より前に科学者という存在がいたことはおぼろげな記憶の中で覚えており、この看板は彼らの文章らしい。

その時、かさ、かさかさ、と洞窟を這う音が聞こえた。おじいさんが振り返ると、蜘蛛のような長い手足の”人間”がいた。
「貴様らは、『鬼』だな。わしの後をつけたのか。」
「いや。つけていない。」逆さ姿の『鬼』は答える。「確かに私たちは鬼。この醜い姿を戒めるため鬼と呼んでる。ここは、私たち、住んでいる所、『鬼ヶ島』。頼むから、どこかにいってほしい。」
「こんな文明の進んでいそうな場所に、貴様ら蛮族の鬼が住んでいるものか。」おじいさんがせせら笑う。「そうだ。ぜったいに鬼は鬼に決まっている。」
「その顔。その心。見覚えがある。もしかして。」
「・・・。」
「やはり。かつてこの聖地を荒らし、皆殺しにしようとしたやつと同じ。許すわけにはいかない。」
その鬼の背後から続々と同じ四つ足の生き物が現れた。まるで暗闇があたりを包みこむように、鬼の大群が洞窟を埋め尽くした。おじいさんは慌てて剣を取り出し衰えた腕で鬼に抵抗しようとするが、老いて汚染された体は思うように動かず、鬼の尖った腕がおじいさんの胸を串刺しにしてしまった。痛みと共に指先が、胸が、背中が冷えて、自分がどんどん消えて行く感触がする。鬼はおじいさんを大木の枝に放り投げ、その枝に干されるようにおじいさんはぶら下がっていた。自分は死ぬ。しかしこのまま最愛のおばあさんに知られずに死んでしまうのか。それは嫌だ。おじいさんは鬼に悟られぬよう慎重に胸ポケットから紙と鉛筆を取り出して遺書を書く。書き終えるとおじいさんは遺書を胸ポケットに入れた。

このまま自分が水に飛び込めば、川下で洗濯しているおばあさんが発見してくれるだろう。しかし生きている事に気づいたらしい鬼の一体が木に向かって駆け出した。おじいさんは衰弱して動かない腕を必死に動かしたが、しかし滑り落ち、枝にぶらさがる大きな桃に頭を打った・・・かのようにおじいさんは思ったが、頭は桃の皮の中実の中にやわらかくのめりこみ、驚く暇もなくどろどろとした溶液が口のなかから腹へと満ちていく。おじいさんは今桃の中に入っていた。おじいさんは、自分を捉えようとする意識が薄れて解放されて行く感触を味わう最中、プツンと何かが切れる衝撃、そしてばしゃんと言う水音から、自分が入っているこの胎盤のような桃が木から落ち、川に流れ始めた事に気づく。おばあさんが洗濯しているあの川にたどり着くのだろうか。そしておじいさんは、唯の大きな桃となり、無となる。

どんぶらこっこ、どんぶらこ。

「これは大きい桃じゃのう。」

どんぶらこっこ、どんぶらこ。

中にはおじいさんの残骸が。

どんぶらこっこ、どんぶらこ。

衣服と骨と赤ん坊。

どんぶらこっこ、どんぶらこ。

そしておばあさんは遺書を見る。

*

『愛するお前へ。私は川の上流の洞窟で、蜘蛛の姿をした鬼たちに殺されてしまう。だが洞窟にはまだ緑が溢れていた事を伝えたい。いつか誰かに、あの緑を持ち帰らせておくれ。』

*

桃太郎はその遺書をくしゃくしゃに丸める。
「桃太郎や。桃太郎や。」すっかり大気の毒で弱って寝たきりのおばあさんが、今や自分の息子同然である青年の桃太郎に話しかける。「おまえ、何で身支度をしているのだい?」
「ちょっくら、出かけるからだ。」桃太郎は言う。「母さん、なんで今まで父さんの事を黙っていたんだい?」
「え?」
「戸棚の奥に、父さんの服があるのを見つけたんだ。そして服の中にこの手紙も。」
そう言って桃太郎はくしゃくしゃの紙を広げる。「父さんは、その『鬼』とやらに殺されたと言うじゃないか。鬼が何だかわからないけど。そして緑があるらしいじゃないか。」桃太郎は紙を纏めながら言う。「父の仇を討ちたい。そしてうちで植えてある植物だってそろそろ限界だ。僕は取りに行くよ。」
「桃太郎や、待っておくれ。」
「心配しないで。蓄えていたきびだんごは持って行くよ。」
「桃太郎、実はお前は・・・」
おばあさんの言葉も聞かずして桃太郎は前へと駆け出してしまった。

獣の気配も殆どない。大抵は突然変異で暴れまわっている鬼か、鬼に食い荒らされた死骸、たくましく繁殖力の強い野うさぎばかりだ。だから自分以外に誰もお供がいない。桃太郎は川を見ながら道を確かめ、そしてあの洞窟に向かって歩き出した。
「なにもの。」
洞窟の手前で手足の長い蜘蛛のような人が現れて言った。蜘蛛のよう、ということは、遺書に書かれていた鬼だろう。女の顔をしている。
「俺の父を殺した仇だ。」桃太郎は槍を手にして言う。「そして緑を取りに行く。」
「やめて。」鬼が答えた。「私たちが、何をしたの。それに、この緑、取らないで。私たちにとっても、大事なの。」
「大事なの。」同じ顔をした鬼が後ろから現れた。「大事。」「そう、大事なの。」
「分裂して繁殖するのか。気持ち悪い。」桃太郎は顔をしかめた。
「お願い帰って。」
「いやだ。」
「頼むから。」
「言うこと聞かないなら、」桃太郎は刀を手にする。「皆殺すまでだ。」
すると鬼たちが顔を見合わせ、そして頷く。多くが桃太郎に振り向いて走り迫る。
「お前らは同族でそうやってテレパシーとやらができるのか。」桃太郎は顔をしかめる。「そして意思を共有してるようだな。気味の悪いやつだ。全員殺してやる。」
桃太郎は刀を振るい。たちまち鬼どもを切り裂いて亡き者にしていく。いとも簡単に殺せてしまったので、桃太郎は拍子抜けしていた。もしかして、何か罠があるのではないかと思って奥に入ったが、遺書通りそこは潤沢な緑の大地であった。桃太郎は息を飲む、間も無く。
「ぎい!」鬼の叫ぶ声。やはり伏兵がいたか。桃太郎は慌てて刀を構え、鬼を斬る。
「ぐぅ・・・」鬼は呻く。
「当然の報いだ。」
「なぜ、私たちを、いきなり殺そうとしたのだ・・・」
「決まってるだろう。俺の父を殺した。」
「ここの洞窟、鬼ヶ島にくる人たちは決まって荒らしにくるだけだ。だから仕方のない選択だった・・・。私たちは、どうにかして、元に戻る研究しているだけ・・・」
「元に戻る研究?わけがわからん。騙されんぞ。」桃太郎は焦ったように言う。「ここはお前たちが勝手に住処だと言ってるだけだろう!」
「分からない・・・なぜそれが悪い・・・あなたと同じ、生きたい、だけなのに・・・。」
そして鬼は絶命する。その顔は本当に悲しそうに静かに歪んでいる。
桃太郎はこの時体が縮み上がるような恥ずかしさを感じた。鬼がまるで僕たちと同じ人間のようだったからだ。自分は何てことをしてしまったのだ。忌まわしい、ここは忌まわしい黒い思い出の地。
この洞窟には幾多もの植物がある。さっさとその緑を採取してしまおう。桃太郎はこの植物を、家に持ち帰るためにいくつか試験官に入れた。そしてばかでかい桃のなる木の存在に気づいた。
「これは一体・・・」と思ったその時、桃が木から落ち、たちまち急流に流されていってしまった。桃太郎は慌てて洞窟を出て、川の下流を見つめながら急ぐが、桃を見失ってしまった。

やっと見つけた・・・思ったら、桃の実はすでに弾けていた。皮の一部が川岸に引っかかっている。
がさごそ、と音がした。見回すと、桃の皮を身にまとった女が岩陰からこちらを怯えるように見つめていた。生存者か。
「おい、大丈夫か。」桃太郎は駆け寄った。女は震えながらうなずく。「家はあるのか?」すると女は首を振り、「どこにも家がない・・・」と呟く。
「おいでよ。」桃太郎は言う。「うちには植物もある。今日も採取した植物を家で培養するつもりだ。うちなら平和に暮らせると思うよ。」
女はこくりとうなづく。

「ただいま。」桃太郎は家の扉を開ける。
「おや、桃太郎や、もう旅は終わりかい?」寝たきりのおばあさんが微かな声で訊ねる。
「うん。川の上流で植物があったからね。少しだけ。」桃太郎はもうあの洞窟に戻る気がなかった。「それと。」
「それと?」
「川のあたり歩いていたら、生存者がいたよ。」そう言って桃太郎は手招きすると、布をまとった女が現れる。「この子をここに住まわせてもいいかな。」
「いい子だねえ。かまわないよ。わたしはもうすぐ死んでしまう。」そう言っておばあさんは咳き込み、そして女を見る。女はハッと息を飲む。おばあさんはにこりと微笑んで女に呟く。
「お前も人間として生きる事ができたんだね。」

そして男と女はやがてふたたび、おじいさんとおばあさんになる。

(Never End)