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ホラー映画の思い出

真夏の13日の金曜日ということでホラー映画についてでも。

自分は色々な映画を見るが、実はホラー表現は昔大の苦手だった。テレビ内の演出で血を見るたびにヒィ!と悲鳴をあげて階段を上がっていったものである。
でも正直それが悔しかった。私はアホである。負けず嫌いである。わかりやすい弱点はできるだけ潰しておきたかった。
だから家族の目を盗んで心が傷つくのを覚悟でYoutubeやTSUTAYA等からホラーな動画や映画を片っ端から観ていた。
振り返れば勿体無い人生だったと心底思っている。そして結局、今も怖い演出自体は得意ではない。

とはいえ、やはり、不気味な表現でしか見れない夢の表現というものがあり、夢物語フェチである私にとって心に残る素敵な作品も少なからずあった。
例えば、ハエと融合した博士の悲劇を描いた「ザ・フライ」、これは本当に恐ろしい映画だが、しかしグロテスクな表現でしか決してできない、人間になりきれぬ生き物の魂の悲哀があって、怖いながらも深く感動してしまった自分がいた。
「遊星からの物体X」も有名な作品だが、 はたして人間なのかそうでないのかを、悪夢に近い造形で見せていく様は、これはすごいと感心もした。

思うに現世というのは本質的に恐怖に塗れているものだと思っている。恐ろしい夢を見る時というのは、やはりどこかで現世の恐怖の心残りがあり、自分が自分に向けてメッセージを発しているのだと思う。
だから時と場合によってはホラー表現は現実と幻想を繋げる不思議な効果を時にもたらしたりするのだろうと思う。それが社会的な説得力まで持ち始めた時「ミスト」のような名作が生まれるのであろう。
もちろん恐怖ばかりが物事の本質ではない。

自分がホラー映画の中で最も好きなのは「スキャナーズ」である。これは先述した「ザ・フライ」のクローネンバーグ監督の作品である。
しかしこれはホラー映画というよりは、グロテスクな表現の伴う、超能力者のリアルな攻防を描いたSFドラマに近い。よく少年漫画で過激な描写とともにドラマが語られるアクションものがあるが、あれに近い感じである。
この映画の超能力者は、どれも人格的に飛んでいるところがあり、妙にリアリティを感じる。宿敵が悪に堕ちた原因だって、超能力を身につけて何もかも見えすぎて狂ってしまったからであり、我々がもし超能力を身につけた時にああなってもおかしくないからだ。
そして描写は恐ろしいぐらい俯瞰的であり、本当にホラーというよりは、キューブリック映画的な意味での「SF」らしさをとても感じる。

素晴らしいのはハワードショアによる映画音楽だ。クラシカルなオケとシンセサイザーが非常に豊かな融合を果たし、未来的な無常観が見事に表現されている。

意外と素晴らしいホラーは、音楽が美しかったりするものだ。

「スキャナーズ」テーマ音楽。