シューマンの「幽霊の変奏曲」
作曲家ストラヴィンスキーの言に「音楽は音楽以外の何ものも表現しない」というものがある。文学も思想も物語も「音楽」ではない、ということだ。トートロジーではあるが、「私は私でしかない」というような悟りの領域のようにも感じられて、僕はこの考え方は好きである。
一方この言の一つの側面として、文学や思想や物語を付随した”標題音楽”など純粋ではなくストイックさに欠ける、というような、ロマン主義への批判に繋げることができる。僕自身はそれが恥ずべきこととは思わないが、主張自体は一理あるとも思う。例えば、「鳥やそよ風のような音型を使って森を表現した音楽」といっても、鳥やそよ風はあくまで特定の書法にあわせてサンプリングしたものにすぎず、結局それらの素材を動かすのはやはり歌心や構成や音響の効果などの音楽の発想あってこそだからだ。音楽の本質は音楽なのである。
そのような不純な手法に見える”標題音楽”も、題材によっては純粋にストイックな絶対音楽の片鱗を見せることがありうるのではないかと思う。例えば「死」だ。